Nature Blog

見方を変えれば・・・

2019年5月15日

2か月近くもご無沙汰してしまいました。母が転倒、大怪我をして入院療養や転院等の騒ぎ、仕事と病院通いの

慌ただしい日々に気になりながらもブログまで手が回らずでした。

たった2か月ですが、平成から令和に時代が代わり新天皇の即位。雅子皇后の晴れやかな美しい笑顔はこれからの

安泰をイメージさせてくれるようなホッとした気持ちになりましたね。本当に素敵な笑顔でした。又「れいわ」と

いうとても綺麗な響きにどうかその名のとおり、新時代が世界が美しく平穏で平和な時代であって欲しいと願うば

かりですね。

 

といいつついきなりの滋賀県大津市での事故は本当に痛ましく、亡くなられたお子さんやご遺族、未だ意識不明の

お子さんや保護者の方、軽かったとはいえ心にも傷を負ってしまった園児や保育士の方々のこれからを思うと胸が

痛みますよね。

事故後の素早い保育園の会見では、全くの被害者である園に対し、まるで園に不備があったかのような心ない記者

達の不躾な質問攻めにネットでは大変な批判が殺到しました。

勿論、保育園になんの落ち度もないどころか、未来ある幼い命を奪われ、子供たちに大きな傷を残し、きっと現場

にいた保育士さんたちは、たとえ非がなくても目の前で死にゆく子供達を助けられなかったという責めや後悔は当

然何一つ責任はなくても、当分癒えることなく背負っていかれるのではないかと思うとお気の毒でなりません。

ただ、この心無い記者達の意地の悪い質問責めのおかげで、全国より「保育士さん、ありがとう」の感謝の声と、

この保育園が日ごろからどれ程お散歩に際して細心の注意を払っていたか、非の打ち所のない行程計画の元に実施

されていたことをしっかり証明できた、それを世間にもきっちり公表できたことに、何か少し救われたような気も

します。この会見がなかったら、もしかしたら園がもっとこうしていればよかったのではという見方をしてしまう

人もいたかもしれません。でもこの会見のおかげで全国一斉にそんな疑問すら持てない程に一寸の落ち度もなかっ

た証明が出来、さらに亡くなった園児を悼んだりけがをされた子供達、保育士さんを応援する声だけがあがったこ

とがせめてもだったのかなという気もします。

記者に対しても、「記者の仕事」と言ってしまえばそれまでですが、すぐに誰かを責める日本人気質、いきなり犯

人捜しをしたがる日本人、これは改めて人としてどうなのかを問う大事な案件だったと思います。

記者会見は憤りを感じるものではありましたが、事故後すぐに公に開いたおかげで一気に園の素晴らしさも浮き彫

りにするという一面も担った!!!という皮肉にも全国の誰にも何が原因だったのかを一早く知り得たニュースになっ

たのも事実だったのではないでしょうか。非人道的記者に感謝かもです。

事故事態は日常どこででも発生している「交通事故」だったのかもしれませんが、死者まで出した大きな事故に

より、加害者の心情、事故を起こしてしまった経緯、そして貰い事故により被害者でありながら、自身の車で直接

人に当たってしまった運転手の方も責任はなくても、きっと人に当たった感触は忘れることができない程のショッ

クだったと思います。

この事故で私も含め、多くのドライバーは何も考えずにしていた自分の運転を今一度見直し、ひとつひとつ確認を

しつつ気を付けようと改めて関心をもったことと思います。大きな犠牲の上に。

 

話は変わるのですが、今回母が怪我をして入院したことにより、新たな面からとても考えさせられた事実がありま

す。長野県は長寿県として全国でもトップクラスに名を連ねています。夏は極端に暑く、冬極端に寒く雪深い所、

冬が長いせいでお漬物が常備菜にするため塩辛いものを口にする・・・等考えたら決して長寿になどなり得ない県

だと思うのですが、何故なのでしょうね(;’∀’)

様々な健康番組で取り上げられては「そうなんだぁ、でもすごいな」位にしか意識はなかったのですが、母の入院

により「介護」というキーワードが降りかかって来た時、私はいろいろな理不尽を知りました。

長寿県=お年寄りが多い・・・ことの弊害の大きさに本当に驚かされました。

これは母に限ったことではない話なのですが、高齢者は自分一人では出来なくなることがだんだん増えていきます。

その出来なくなった範囲により介護認定を受け、「支援」か「要介護」か、又その度合いによりヘルパーさんの手を

借りたり、介護用品を借りたり等その認定書により借りられる用具や金額も決まるようです。

東京では杖をつきながら街を闊歩していても「要介護」認定が下りている、それに比べて長野県ではあまりにお年寄

りが多く介護費用がかさみ過ぎて予算がなく、どの位かかっても一人で何とか立って1歩でも歩けば「支援」扱いに

されてしまう、出来なくなることが増えて改めて介護認定を受けても非常に厳しく判断され、なかなか「要介護」に

ならないという実情があるのだそうです。

どこにいても介護保険は収入の中から皆かけてきても、実際年を取って人の手を借りなければならない状態になった

時、お年寄りの少ない所は手厚く介護を受けられるが、長寿県でお年寄りの多い所は費用がないと蔑ろにされる・・・

では今まで世の中のために一生懸命働いてきたお年寄りが可哀そうだと、あまりの理不尽さに何だかやりきれない気

持ちになりました。このまま長野にいたら自分はどうなってしまうのだろう・・・と真剣に考えさせられましたねぇ。

「長寿県」とは単に喜んでいいことではなく、裏側にあるそれが故の事案を知らないと、実際自分に降りかかって来

た時、どう捉え、どう対処していくかをきちんと見なければ大変なことになることを知りました。

地方によって格差を生んではならないことですし、選挙の時だけ高齢者福祉を掲げても当選してしまえばそんな話は

どこへやら・・・日本の政治に期待はしていませんが、それでいいの?と常々憤りを感じています。

日本では自分の身は自分で守るしかないのでしょうかね。

それはともかく、事故のように予め予想すらしていなかった事態に遭う事すらある世の中ですから、何かあった時に

柔軟に対応できる受け皿を持つことも大事なことだと考えさせられました。常に様々な面から物事を見る癖をつけて

おく訓練も大切なのですね。

カウンセリングにおいては物事を一方から見るだけでなく、様々な方向から見る、考えるは当たり前の癖として自然

にしてきたつもりでしたが、カウンセリングを離れた世界の中でも物事を見方を変えて様々な情報を得る大切さをこ

の2つの事案を見てつくづく考えさせられましたね。